2015年8月25日火曜日

そう受けてしまったのなら...

そう受けてしまったのなら...

そう受けてしまったのなら...

インターネットが普及して
何でも調べられる時代になりました。

金光教の教えも
インターネットで検索すれば
誰でもが見られる時代です^^
すごいですね。



当時は、
その場所に行かねば
承れなかった「教え」がです。

ここで、言葉の受け方なのですが、
十人いれば
十通りの受け方があるように思います。
同じはずがない。
同じ境遇の人などいないのですから。

そして、たとえ解釈違いであっても
私はそれがすべてだと思っているのです。
そう伝わってしまったのなら。
それを違うと言ったところで
そう感じているのなら
それがすべてだと思うのです。

金光教のみ教えもいろいろとありますから、
いろいろに捉えることが出来ます。
様々な教えがありますが、
実際は一人一人に下げられた
み教えなのです。
だから合うのもあれば
合わないのもあるだろう、と
思います。
たとえば
酒好きには「あまり飲まない方が...」
酒嫌いには「少しはいただいた方がよい」
という具合です。

ここで
合わないものを引き合いに出して
金光教は違う
というのも
それはそれで
そう伝わってしまったすべてかとも
思うのです。

だからこそ、
だからこそ、
金光大神が教えたことを違わぬように
人に伝えて真の信心をさせるのが、
神へのお礼ぞ。

と教祖さまは教えてくださっています。

伝えるまでで終わりではなく
真の信心をさせるまで
そこまでです。

骨が折れますね。

正しいことを言うと余計歪むこともある
とも師匠から教えられております。

。。。

いろいろな人がいます。

非常に原始的ではありますが、
一人一人と対峙し、
心の内を丁寧に聴かせていただきながら、
教えられたことを丁寧に
(出来る限りで...)違わぬように伝えていくことです。

そのための命。

今日も命をいただき御用させていただけておることが
これほどまでにありがたいことかと思います。

骨は折れますが、
生き甲斐を感じております。
ありがとうございます。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
 須賀院 崇徳