2015年8月24日月曜日

ご信心と熱狂

ご信心と熱狂

数日前に
ブログは思ったことをかくために存在する
という言葉を目にして
少し気が楽になりながら
文章を書いております。

そんなわけで少し思ったことを
書いて見たいと思います。





ご信心と熱狂についてです。

前々から感じていました。

ご信心(宗教含む)とは
人を熱狂させるものだ、と。
穏やかに出来るものでもなく、
穏やかに出来ていたら
それはご信心ではないのかなぁと
思っていました。

そんな中
いろいろな宗教(教団)の問題が浮上して
熱狂した人間のとるべき行動が
問題行動として
取り沙汰されました。

だから怖くなった。
怖くなった人が増えたと思います。
実際怖いだろうなとも思います。

熱狂した人間の行きつく先を
見せられたかのように。

根本的に
追い込まれたら人間は何でもするものだ
と、私は思っております。
自分を見ていても感じますし。

だからこそ
ご信心が大切だと
思うのです。



いただいた命を、
信仰し
熱狂し、
いただいた命を生きていくこと。

怒りも憎しみも不安も悲しみも、
喜びだって
命をいただいて後の事です。
命は神様からいただいておる。
そういったことも、
調子が良いときは
よくも思えますが、
調子が悪いときを
どうやり過ごそうか
どうやり切ろうかとさえ
感じてしまう。
どうせ私の苦しみなど
分かりっこないとさえ。

あえて...
浮き沈みがあって、
悪いときもあれば
良いときもあるのですから。



私は...
熱狂していると思います^^

毎日毎日、
神様に命をいただいて
師匠にお取次をいただけて
御用させていただき続けていることが、
途切れない、
消えない
折れない
ブレない
曲がらない
わが心で事を進めてしまい、
多少横道にそれようとも
元に戻ると確信できる
そんな感覚なのです。
おかげになる。
お取次をいただき続けること。

非常に抽象的な表現になりましたが、
(抽象的はいつもですが...^^;)
今日はそんなことを感じました。

 この記事を書いた人
 須賀院 崇徳