2015年8月23日日曜日

そんなことはいいのです

人間ですから、
好き嫌い、
得手不得手というものがあろうかと思います。

そんなことはいいのです



万人に好かれるのは至難の業ですし、
かといって、
一人一人に丁寧に合わせていくのも
無理をして
合わせすぎて
自分を見失い
途中から自分が何をやっているのか
分からなくなってしまうように...
実際
そのような生活を
送っていたこともあります。
(会社勤めのとき家に帰ると何故かすごく疲れているときがありました。会社では作り笑いの連続、家では笑顔一つも出ず、ただただ水中から地上に上がってきたかのように大きく呼吸して「このままじゃ死んじゃう」と言わんばかりに酸素を取り入れているかのようでした。。)

無理していたんですね。

無理して合わせていたのです。

無理ですから、
しんどくなっていたのでしょう。

はい、今は違います^^

何か一本筋が通ったその生き方に
反発を示す人もいらっしゃいますが、
ある先生が、
『そんなことはいいのです』
と仰いました。

本当にその通りだと
あらためて心にとめました。

今は違う、
その今は
間違いなく神様がいらっしゃって、
教え躾けてくださる師匠がいて、
そうして一日一日お育ていただいて、
無理じゃないのでしょうね。
だから、
続く。
悲鳴もあげていない。
夜も眠れる。
朝も起きさせていただける。
端から見たら「先生のような」生活は
嫌だと言われる。
でも
『そんなことはいいのです』
私にとっての
私の命が輝くことがありがたいのです。
嬉しいですし、
師匠からも
『結構でした^^』
とお言葉が下がり
また次へ次へ、と
そういう気持ちになる。

するとビックリするような方がお広前に現れる。

その方の話をまた
聴かせていただくのです。
聴かせていただきたいのです。
心からそう思います。

お参りされた方が、
「信心したいです」
と言われる。
その言葉を聴かせていただくと、
ジワーっとありがたく感じました。

それでいいのでしょう。

信心したい人が
信心しやすいように
神の前立ち、氏子の(子)守り役として
取次者である私が
お育ていただきたく存じます。

今日はそんなことを思いました。

 この記事を書いた人
 須賀院 崇徳