2015年8月3日月曜日

『being』存在自体で

ある書籍から
『doing』『having』『being』
という言葉を目にしました。
前にも一度目にしましたが、あらためまして。

『being』存在自体で

言いたいことは...
相手を受け入れる際の条件、
『doing』は、している様、
子どもの勉強でいえば
勉強「している」から偉いね、ということ。
これの逆は
勉強してなければ偉くない、となります。

『having』は、持っている様子、
テストの点で90点、偉いね。
これの逆は
点数が低ければ偉くない...

そして、
『being』は存在そのもの、です。
いるだけでありがたい
ということです。

大切なことだなとあらためて思いました。

社会に出れば、必ず
『doing』『having』で評価されます。
必ず。

いるだけでありがたい
などと言ってくれる人などいません。
行動を求められますし
成果を求められます。
そればかりだと、
うまくいっているときは良いですが
問題はうまくいってないとき、
息苦しさを感じてきますね。

その息苦しいところを
家族の中で緩和できていれば良いのですが
家でも『doing』『having』で、
『being』で
その人の存在自体で
認めてやることができていない家もありますね。

すると
誰も
どこも
私を認めてくれない
と、そう思うようになってくるのです。
自然と。
だから自己肯定も出来ない。
「こんな自分なんか消えた方が良いです」と
平気で言えるような心境になってしまう。



私の日常に照らしてみて、
お取次はどうでしょうか。
参られた方を
『doing』『having』
で見ていないだろうか。
『doing』『having』
で苦しんできた人を
また『doing』『having』で
見てはいないだろうか。

存在自体で、
『being』で
受け止められているだろうか。
あらためて感じます。

存在自体で受け止めつつ、
もちろんお育ていただくことも
大切ですね。

お育ていただく事についてですが、
最近、師匠からいただいた
『(誰もが)分かる心を持っている』
ということをあらためて意識しております。

勉強しなさいだとか
信心しなさいとか
するかしないか
もともと分かる心を持っているわけです。
誰もが。
この人は例外ということは
ないのです。

そこを思わせていただきながら
先日いただいた『10年』という区切りをもって
目の前の相手(子)に向かっていきます。

その辺りが言葉にすると
行ったり来たりなのですが、
私の中で明確になりつつあります。
行き詰るということがない^^
ありがたいことです。
けれども油断をすると
すぐ我が出てしまいます。

気付いたら
参られた方々を
『doing』『having』
で見ている自分がいる。
平気で信心しなさい、とか言っています。
常に参られたらありがたいねぇ~と、
『being』で、
そしてその方の分かる心を信じながら
神様にお育てをいただくということ、
この軸をブラさぬよう
今日も意識しながら
お取次させていただいております。

ありがたいことです。
御用させていただける命、身体です。
日々お稽古でございます。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
 須賀院 崇徳