2015年5月5日火曜日

私の周りを流れている時間


おはようございます。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


私の周りを流れている時間
流れている時間が違うのですね

ある氏子とのお取次、その後のやりとりにて感じたことです。今までの最長でした。飲食忘れて13時間、お一人のおはなしをお結界にて聴かせていただけました。

長時間お話を聴かせていただいた氏子さんが……

いろいろな氏子のお話を聴かせていただいております。それぞれに、みな真剣に考えて悩んでおります。

お話を聴かせていただく中、少しでも氏子が変革を感じられ、次に向かえるようになっていただけたらと心の底から念じております。

先日、家族に「 ( 長時間お話を聴かせていただいた氏子のこと )眼鏡をかけていたかどうか…… 」と聞かれ、答えられなかったのです。

自分でも驚きました。ず~っと目を見て13時間も、話を聴かせていただいていたのに。けれども覚えてないのです。

家族の話では眼鏡をかけていたそうですが、その話をしながらも一瞬ですが自分の注意力の無さにガッカリした反面、眼鏡をかけていたかどうかは どうでもよかったのではないか……、そのような感覚にもならせていただけました。

話を聴かせていただくということ。

その氏子も、「 話を聴いていただきありがとうございました。とてもスッキリしました 」と仰られておりましたから。僕も正直ヘトヘトで、けれども気は元気でした。後日まで残った感覚は、ありがたいなぁという心のみでした。

その氏子、僕の話を聴く姿勢を見て「流れている時間が違うのですね」と言ったのです。

あまり深く考えたことはなかったのですが、確かに言葉にすれば流れている時間が違うのかもしれません。素直にそう思えました。

話を聴くことに集中できている。ここでもう一つ気付きました。僕の気持ちはもとより周りの協力あればこそだ、と。聴ける環境を作っていただけている、ということ。

自分では「 修行、修行 」と思いお結界にすがりつき、「 話を聴かせていただくんだぁ~ 」などと、声高らかに言っておりましたが、座れば座るほど、氏子の話を聴かせていただけばいただくほど、自分が聴いているなどとてもじゃなく思えなくなってました。

そして神様のお力をお借りすればこそ、聴かせていただけている身体と大きなおかげをいただけていることも、あらためて気付いたのです。心身のおかげに、環境に感謝です。

お繰り合わせの世界|宗教家の書くブログ お繰り合わせの世界

僕が信心辛抱するなら、同時に周りも信心辛抱になるということですね。そのことを深く考え、そうして御礼申し上げたことでした。

おわりに

やはり、流れている時間は明らかに違う。僕の時間のようで、僕一人の時間じゃない。いただいている時間ということ、だからこそ御礼申すべきことに変わるわけです。

色々なことに触れ、そのようなことを感じさせていただきました。すごく大切な経験を神様がさせてくれました。差し向けてくださった氏子を通して。ありがたい限りです。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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