2015年4月4日土曜日

経験からの反省

よりよいもの
という話は
一方で、自身の
これまで大切にしてきたことを
否定することに
否定されたと感じることに
気付かせていただきました。

経験からの反省

反省の文章ですm(__)m

否定されたと感じることが、
とても大切なときもあります。
たとえば
「このまま走っていったら
崖から落ちるよ」
という状況ならば
分かっていながら止めないというのも、
本気で人を助けたいと言っている以上
そのときは
勇気を出してその方の
首根っこを掴まないといけないと
そう感じています。

一方で、
大切にしている部分
たとえば
親を大切にしているところなど、
否定されたくもないと
感じているところに
神様のおはなしが入ってくることで
「親を大切にしている心が
実は不十分だった」と
否定された感を受けられるということは
またちょっと違うのかなぁと
感じ、反省した次第です。

金光教でのご信心は
まさに親子の関係です。
神様が親様、人間が子。
親の愛(世間一般のそれとは違います)
どんな私でも受け入れてくださる
また本気で叱ってくださる
そのような親です。
いついかなる状況
いかなる場合でも、です。

三代金光様のお言葉
信心するものとせぬものとは、
親のある子とない子ほどちがう


産みの親をありがたく思えたら自然と(神様が)ありがたく思えてきます
現教主金光様からいただいた言葉です。

言いたいことは
どこまで親の愛を分かっておるのか、
親(産みの親ひいては神様)
のありがたさが
ということと感じているのですが...
自分の命の元は、ということです。

自分として
今まで大切に思ってきたけれども
神様を感じさせていただくことで
より分からせていただける
ありがたさを
理屈抜きで分からせていただける
「こんな親だから自分の今は...」を
親の深い愛
どんな私でも受け入れてくれる、
ということを
お取次を通して
深い深い愛を感じることで
今が生きてくるということです。
なんて言うことはなく
その流れの中で
生かされている自分、という
自分の存在を
とことん分からせていただける。
そう思っています。

けれども、
お取次を通して親のありがたみを...
もっともっと
と切り出した途端に、
言葉にせずとも、
「今まで親を大切にしている心が
実は不十分だった」
と、否定されたと感じられたら
これは本末転倒で
申し訳ないわけです。
そう感じました。

今までの大切にしてきた部分を
肯定(受容)しつつ、
神様に心を向けることで
もっと親のありがたみを
深く分からせていただける
分からせていただきたい
ということなのに、
反発心だけ生ませてしまったというのは
とても申し訳なく感じました。

根本的に聴ききれなかったことが
原因かと思いますがm(__)m

繋がってることなのに、
反発されてしまう。

今後も
聴き方、伝え方に十分注意し、
導き方、引っ張り方、
相手の分け御霊様(魂)に
うったえる様に
お願いさせていただきながら
また聴かせていただきたいと思います。

 この記事を書いた人
 須賀院 崇徳