2015年3月13日金曜日

その方の杖になりたい

ある方とのお取次を通して、

「先生はいつも、
こちらに矢印を向けますよね」
「正直しんどいです」
と言われました。

その方の杖になりたい

「こうしなさい」とは言わずに
「どうする?」
「来れたら来なね^^」
と。

その方が仰るには、
「こうしなさい」と言われた方が楽だと。
なぜなら、
―言われたからやっている―
という立場に立てるから...
けれども、
選択権を委ねられると
どうしてもしんどくなる
そのように仰られていました。

祖父の言葉...
『己が確とした神も無く
わが内なる神を育てずして
相手にその神を移すだけの
自信もなければ
それだけの努力もなくして
そうしてただ机上の空論だけで
とやかく言うことは
あまりにも軽率すぎる』

わが内なる神を育てること

その方にしてみたら
今の現状が
しんどいことかもしれませんが、
(嫌なことをやっていること、
日によってはやらされていると感じること)
ご信心によって
取次者と共に
しんどいことと向き合っていくことは、
とても大切なことだと
あらためて思わせていただきました。

たとえしんどかろうが、です。

私もその方を通してこれからも
わが内なる神を
育てさせていただくということは
言うまでもないことですが、
その方が
助かる方を選びやすいように
一緒に並走させていただきたい
と思いました。

※自分を見ていくということは
とてもしんどいこと。
※そしてあらたまっていくということは
とてもとてもしんどいことです。

その方は十分に分かっています。
ご自身でも口にされています。
自分が、
どうするべきなのか...

いつだって理由をつけては
楽な方を、しんどくない方を、
改まることから遠ざかる方を、
正当性をもって
選んできました。

自覚もされています。

少しずつ、少しずつ、
あらたまりの方へ
わが内なる神を育てられるように
私も神様に軸足を置き、
神様を杖にさせていただき
そして、
その方の杖になれるように
目の前に実在する
伴走者として
接していきたく思います。

あらたまれば全ておかげになります。

 この記事を書いた人
 須賀院 崇徳