2014年11月28日金曜日

それが本性

随分前から
考えていたことです。

それが本性

世の中の出来事で
合ってるとか
間違ってるとか、
常識だとか
非常識だとか、
いろいろな基準があって
それを知らない自分がいるなぁと思い
じゃあ知ろうと
出来る限りで知識を増やせども
判断基準が増えに増え
結局は苦しくなっていくのは
自分
ということを
考えるようになりました。

だったら知らない方が良いのかな
とも思いました。
実際、無知ゆえに
幸せそうな(そう見える)人に接すると
なおさらそう思うのです。

何で自分は
こんなに苦しんでいるのだろう、
こんなことで...
と付け加えたくなるようなことも
あります。

けれども、
思い返してみて
知らない方が良い
のではないようにも
思います。
自分に向けられたことへの対応が
どれだけ出来ているか、
これは自分でするのではなくて
神様と共にさせて頂くのですが、
やっぱり
いよいよは
自分の心が喜べるか
喜べないかに
なってくると
思います。

この記事を書きながら
知らない人は知らない人で
周りから
とやかく言われている
かもしれないですし。

ようは自分の心です。

何かが出来たとして、
認めて...
認められない...
心がざわつく
悲しくなる
しんどくなる
それが本性なのです。
その認めるのもしんどい本性を
素直に見つめて
こんな私です、と
神様に縋っていくことだと
改めて思わせられております。

知識としても、
ほんのかじった程度なのに、
何もかもを知ったかのように
振るまっている自分が
ここにいるのです。

それが本性です。

お願いさせていただきます。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
 須賀院 崇徳




1年前の記事『今一瞬、出来ることを』