2014年11月17日月曜日

病気なのでしょうか?

病気なのでしょうか?

このような問いかけを
最近良く耳にします。

病気なのでしょうか?

お話を聞かせていただくうちに、
喜べることが、
喜べなくなっている。
感情が無くなっていく感覚。
今まで一生懸命にしてきたことも、
他人事で、
どーでもよくなって、
全てに投げやりなのです。

今までとの変化は、
決定的な原因が、
自分にはよく分からないけれども、
喜べない、
病気なのかなと思い、
お医者さんに診てもらっても
特に原因も分からず、
『ストレス性』と言えば
全て片づけられてしまうような。

そうして出てきた言葉が...
病気なのでしょうか?

私はお医者さんではありませんので
病気かどうかは分かりませんが、
教えていただいたこととして
そう感じていることとして
分け御霊様が苦しんでいる、
分け御霊様が傷付いている、
分け御霊様が鎮まっていない、
ということは言わせていただきます。

喜べることを
そのままに
喜べたら良いのです。
御礼申せたら良いのです。

教祖生神金光大神様は、
信心は本心の玉を磨くものぞや
と教えてくださっています。

本心の玉を磨く...
分け御霊様を磨く...
神様から分けていただいたもの
本心の玉

分け御霊様...
磨くというぐらいですから
曇っているのでしょう(*_*;

色々な経験から曇ってしまった。
あるいは、
御礼申すべきところを礼を申すことをしないから(無礼)曇ってしまった。
自分だけではなくご先祖様から続いているものかもしれない。
とにかく
喜べない自分が今ここにいるのです。

その喜べない
曇ってしまった心を磨くのには
信心(神様に心向けること)が
必要ということなのです。

以前私は
信心のある人に触れるだけでも
おかげになる
と教えていただいたことがあります。
結果信心になっていくからだと思います。
鎮まっている分け御霊様に触れるうちに...

喜べないなら、
喜びたいなら、
どうにかしてほしいのなら、
信心させていただけばよいのですね。

けれども【ご信心】怖いですね(^^

信じるというのはどこか怖いもの

この迷いもまた
本心の玉が曇っている
と言えるのかもしれません。
助かるのに
助かろうとしない。
助かると言われているのに
素直に受け入れられない。
厳しいようですが...(*_*;

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
 須賀院 崇徳




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