2014年8月27日水曜日

自分がどうしたいのか

自分がどうしたいのか
ということは
非常に大切なことかと
感じています。
なかなか思うようには
いかないのですが...

自分がどうしたいのか

誰かに指示をされて動いている状態
実際には指示されていなくとも
そう思いこんでいる状態、
例えば、
正しい・間違っているなどの判断も
自分がどうしたいのか
という考え自体を
消そうとしている要因かも
しれません。
本当に思っていることが、
正しい・間違っているでは
納得出来なかったり
よくあることかと思います。

その思いの裏には、
誰かがそう言っているから...
とか、
そうするのが当たり前だから...
という、
自分では納得していないのに
そうするべきなのだと
勝手に自分の中で
作り上げているものが
あるように思うのです。
自分への圧迫と言いますか。

この考え方では、
いつかパンクします。

やらされている感覚が
強いからだと思います。
納得していないのに。

自分の責任すら皆無です。
被害者意識も強いのではないでしょうか。

誰かがそう言っていたから...

自分をバランス良く
コントロールしたい気持ちからか
全てを自分の責任だと
思いこんでしまったら
それこそ辛いからか、
何か相手に言われたからと
考える方が勝手が良いからか
そのような気持ちに
知らず知らずに
なっているのではないかと
思うのです。

落ち着いて考えてみたら
このような生き方は
面白くはないと思うのです。
いかがでしょうか。

我慢しているからだと思います。

ではどうすればよいかと言えば、
我慢ではなく
辛抱させていただけば良いかと思います。

信心辛抱...

神様に心向け、
神様と共に
辛抱させていただくのです。
自分がどうしたいのかを
考え続けながら...
願いと現実のギャップを
日々神様にぶつけながら
おかげにしていただきます。

人生を諦めるぐらいなら、
諦めてしまえる勇気があるのなら、
死んだと思うて
神様に縋っていくのも
出来るのかと思います。

自戒の念を込めて、
私も更に考え
辛抱させていただきたく思います。

自分がどうしたいのか。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
 須賀院 崇徳





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