2014年7月9日水曜日

相手を責めるための知識
―知らず知らずに…―

自分を大切に…
とても大切なことです。

相手を責めるための知識―知らず知らずに…―

けれども、ときに
自分を大切にするがあまりの知識、
それが相手にとっての
武器になるようにも思うのです。

教祖金光大神様の説かれた、
人間が賢(さか)しいばかりで
身に徳を失っておる

や、
凡夫であい分からず
など、
教祖様が貫かれた世界は
人の股をくぐっていくような
生き方です。

十人の股(また)はくぐっても、
一人の肩(かた)は越(こ)すな。

と教えてくださっています。

その生き方に対して、
なまじ知識があるばかりに、
「合ってる」だの、
「間違ってる」だの、
知識があるばかりに
相手を受け付けない、
そのままの相手を受け入れる腹に
なっていかなくなるのではと、
宗教家として、
強く疑問を抱くところです。

知るということ
とても大切なことです。

けれども、
その知識が、
人を受け入れる大きさを示すどころか、
相手を責める要素にも、
知らず知らずにしてしまっているということも、
(人間の凡夫性でしょうか)
あらためて
知らなければいけないなと、
思わされました。

自分の心はどうであろうか。

言葉にはせずとも、
相手を責めてはいないだろうか。
知識をもってして(み教えも含む...)

理解出来ないから…
もっと言えば、
教祖様の説かれた世界と
相手がかけ離れているから…
それで相手のことを
相手のそのままを受け入れられないならば…

今一度考え直さなくてはと、
感じております。

繰り返しますが、
み教えもときに武器になります。

使いどころを間違えたら、
そうなりますm(_ _)m
言われた相手も
責められていると感じるでしょうから。

どんな人間でも受け入れる大きな心。

背景にあるのは、
何をしでかすか分からない人間、
お互い様です。
綺麗事を超越した親心です。

先は遠いですが^^;、
一つ一つ
お稽古させていただきたく
思います。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
 須賀院 崇徳





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