2014年7月18日金曜日

お願いしてさせていただくと

お繰り合わせを
いただくということは、
「結果オーライ」とも
言えますが、
そのような感覚よりも、
もっと驚くべき働きがあるように
感じています。

お願いしてさせていただくと

ご信心させていただいて、
見えない部分が
見えるようになった面も
あります。
そのことに加えて...
お願いしながらさせていただくと、
驚くべきタイミングというか、
お繰り合わせとしか
表現出来ないことが
日常でおこるように
なってきたのです。

お繰り合わせ、
それすらも
お繰り合わせと
感じ取れなければ、
ただの「ラッキー」なことで
こちらの想いが
終わってしまいますが、
お繰り合わせと捉えれば
神様の御働きによっての
ことですから、
ありがたくもなり、
御礼申すという行為も
合わさってくるように
思います。

よく定時のご祈念の前後で
お繰り合わせを感じることが
あります。

武蔵小杉教会では、
日に四度の定時のご祈念を
仕えさせていただいておりますが、
定時ですから、
6時、10時、14時、18時と、
四時間毎には、
ご祈念の時間がくるわけです。
こちらで決めたことですが^^;

一日の御用を
色々と考えて、
あれこれさせていただこう
と思っても、
お繰り合わせをいただかなければ、
それこそ、
定時のご祈念すら出来なくなってしまいます。
こちらで決めたことですが^^;
ではご祈念をやめよう、
それでは本末転倒のように
感じます。
くどいですが、
まずこちらが願って、
定時のご祈念を決めたのですから。

そうして、
「あ〜、いよいよ
お繰り合わせをいただかなければ
何も出来ない」
と感じるようにもなり、
ひたすらに
「この時間内にさせてください」
とお願いするように
なりました。

そこからは、
お繰り合わせの世界です。
先に考えたら、
「この時間では無理だ」と
思うことでも、
お願いしながら
進めさせていただくと、
「ハイッ」と
ひと段落ついたところで
時計を見ると、
定時のご祈念一分前だったり、
三十秒前だったりが
何度も何度もありました。
特に大祭前などは^^

時が止まったかのような感覚です。
そのようなことが
よくあります。
お繰り合わせの世界かと
思わせていただいております。

一方で、
どうしても時間を超えてしまう
というようなことは
神様がさせてくださらないような
そのような気にも
ならせていただくのです。
だから手をつけないことも
あります。
あらためてさせていただく、です。

こちらとして
何が出来るかといったら、
お願いするかしないかですから、
しっかりと神様に心を向けて、
お願いさせていただきながら、
起こりくることを
考えさせていただけたら
良いかと思います。

お繰り合わせの世界が
待っているように思います。

どうぞ良い方へ。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
 須賀院 崇徳





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