2014年6月7日土曜日

一番問題なのは

先日書きました
共鳴の喜び
共鳴の喜び2
つながることですが、
自分の問題として
全ての問題を見られるかが
大きな分かれ道として
感じるようになりました。

一番問題なのは

家族も、
学校も、
職場も、
世の中も、
いろいろな人がいて
様々なシステムの中で
生活しているわけですが、
それら諸々を
自分の問題として
受け止めていくということです。

何故かと言えば、
不安になるのも
心配するのも、
全て自分だからだと
思うのです。

「息子が学校に行かなくて...」
そのことで不安になっている自分がいます。
「職場に嫌な人がいて...」
自分が不安になっています。
「世の中が不景気で...」
そのことで不安になっているのです。

いつだって自分、
言ってみたら
周りは関係ないのかもしれないと
感じるようになりました。

自分の問題として
考えていかなければ、
例え、周りの悩み事が
解消されたとしても、
息子が学校に行こうが...
職場に嫌な人がいなかろうが...
世の中の景気が良くなろうが...
結局は
他にある不安につながることに
目を向けては
不安になってしまうと
思うのです。
クセみたいなものでしょうか。

教祖生神金光大神様は、
おかげは和賀心(わがこころ)にあり
と教えてくださっています。

おかげとは、
自分の心が和(やわ)らぎ
賀(よろ)こんでいれば
すなわちそれがおかげである
と教えてくださっています。
周りは関係ありません。

職場や社会などは
我慢出来るかもしれませんが、
家族の問題にしてみたら
心配になるのは当然のことと思います。

当然のことと思いますが、
今一度
他の誰でもない
一番問題なのは、
自分の心配する心なのだと
思いあらためて
お願いしながらですが
こと進めていけば
日々の生活が
周りに左右されにくい
よりイキイキとしたものになると
感じています。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
 須賀院 崇徳





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