2014年6月4日水曜日

してもらったお礼

自分もしてもらったのだから、と
受けたおかげを
人に丁寧に話し、
困っている人を
助けさせていただけるように
なることは、
とてもありがたいことに
思います。

してもらったお礼

それだけ強い熱がなければ、
伝えようという気にも
ならないように
思いますが。
助けられたという
強い熱です。

亡くなった祖父は、
おかげを受けたのにも関わらず、
伝えようとはしない、
ましてやもう用無しとばかりに
ご信心からも
離れてしまう人のことを、
おかげ泥棒信心
と言われていました。

泥棒とは
嫌な響きですね^^;
けれども本当のことかと
思います。

教祖生神金光大神様は、
神より金光大神に、
いつまでも尽きぬおかげを
話にしておくのぞ。
信心しておかげを受けたら、
神心となりて人に丁寧に話をしてゆくのが、
真の道をふんでゆくのぞ。
金光大神が教えたことを違わぬように
人に伝えて真の信心をさせるのが、
神へのお礼ぞ。これが神になるのぞ。
神になりても、神より上になるとは思うな。

と教えてくださっております。

あたり前ですが
神へのお礼までが大切です。
お礼が無いのは
無礼者ですから。
助けていただいて
お礼が無いのは
悲しいことです。

聞きようによっては
縛りにも聞こえるかも
しれませんが、
本当のことかと
思います。

いかがでしょうか。
出来る限りで。

 この記事を書いた人
 須賀院 崇徳





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