2014年6月30日月曜日

苦労してみよう

ある先師が、
ご信心をされて何が変わりましたか
と訪ねられたときに、
苦労してみようという気持ちになった
と応えられたそうです。

苦労してみよう

苦労してみよう...

まさに現代から言えば
真逆の精神かもしれません。
嫌だそんなの...
という声が聞こえてきそうです。

私はご信心を知り、
自覚的に学ぼうという気持ちになり
ご信心を語るようになり、
冒頭の先師の言葉が
本当にそうだなぁと
思えるようになりました。

また違う方は、
やりましょうむつかしい方を
と言う。
それもご信心の先の言葉です。

私の好きなアーティストは、
高ければ高い壁の方が
登った時気持ちいいもんな

と歌詞に込められています。
この方がご信心あるかどうかは
分かりませんが、
一般的な考えと
切り結ぶのには
同じようなことが言えると
思いました。

ご信心の先には
感動が待っているという前提で
話を進めますが、
苦労も、
むつかしい方へも、
高い壁をも、
こちらの向かい方次第
だと感じます。

楽して...
苦労せずして...
感動は得られないと
確信しております。
感動とは生きがいです。
生きている証、
喜び...
そもそも
人間の心がそのように
出来ていない、
楽して感動はない、と。
教祖様の仰る
天地の道理
のところです。

とはいえ、
身体を動かすのは
心です。
ご信心いただき
動きたい、
苦労させていただこう、
その心のおかげを
いただきたく思います。
これも一般的に見たら
おかげ?と映るのかもしれません。

「苦労してみよう」
大きなおかげです。

いかがでしょうか。


 この記事を書いた人
 須賀院 崇徳





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