2014年5月31日土曜日

得手不得手の先には

人間ですから
得手不得手があります。
当然のことかと思います。

得手不得手の先には

どうしても好きになれない人、
または、どうでもいい人、など
好きの反対になり得る人が
身の周りに何人かは
いるのではないでしょうか。
私にもおります。

そこでご信心です。

「この人とは一生分かり合えない」
「仕方がない」と
諦める必要はありません。
自分の器次第ですから。

または、
相手の状況だって
変わります。
自分の心すら
ユラユラ揺れて、
どうしても好きになれない人も
同じようにユラユラと、です。

私は、
人間関係で悩む度に、
現教主(金光教教主:五代目)から、
世話になる全てに礼を言う心を持てばよろしい
と、何度も何度も
諭されました。

世話になる...
というところです。

時間が経つにつれ、
私が理解させていただいたことは、
どうしても好きになれない人でも
何らかで世話になっている

という、
何ともアバウトですが
その関係性が本当のことかと
思えるようになったのです。
(実際には割り切れない心もありますが、
諦めることはないと思えるということです)

自分に何ら関係がない
と思っていた人も、
実際は関係があって、
みな生きているのです。

そう思えただけで、
身の周りの見方も、
自分の見方も変わりますし、
「この状況が変わるように」と
願うことができるようになりました。
不思議なものだと思います。

その後は、
願うことの出来るその心で、
「どうぞ(嫌いな相手の)良いところを見せてください」
「少しでも好きにならせてください」
と願うことが必要かと思います。
本気で願うことです。

別に必要ないと思う人は
必要ないのかもしれません。
けれども、
この得手不得手の問題は
必ず違った形で、
自身につきまとうようになるのです。

どんどんどんどん
苦手な人も増えてくる。

ここでご信心させていただき、
一つでも許容範囲が増えたなら、
嫌いな人も
好きでもないが、
お世話になっていると思えたなら、
世界観は大きく変わると思うのです。
それが器だと思います。

ダメだと思ったら
ダメだと思う器、
大丈夫、諦めないと思えたなら
そのような器が添うのだと思います。

いかがでしょうか。
まずは自分の心です。

 この記事を書いた人
 須賀院 崇徳





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