2014年4月15日火曜日

いつだって我が物顔になる自分

生きてる、
生かされている。

いつだって我が物顔になる自分

自分の心に問うてみて、
少し考えたら、
本音が出てくるのでは
ないでしょうか。

生かされていることは、
継続的でなくても、
一瞬でも思えたのなら、
持続出来るように
チェックしていけば
よいと思いますが。

生きているは、
自分で生きているのだから、
誰に何と言われようと、
自分の力で生きているのですね。
自分の力で…そう聞くと
「スゴイなぁ」と
力強くも思えますが、
その人の根底にあるものが、
有限な人間だということは、
どこか心もとないようにも
感じているのも事実です。

いかがでしょうか。

自分の力では、
常に背水の陣でもありますし、
自分が壊れたら
自分が弱音でも吐くようなら
取り返しのつかないことにも
なるような気がしています。

けれど、
生かされているのは、
どこまでも自分の力ではなく
生かされているのですから、
ダメでもともと、
今日も一日と、
どこまでも持続できるように
そう感じます。
そこが力強くも思えます。

良くも悪くも、
思い返す。
やり直す。
お願いしながら、
次へ次へと、
お願いしながら
させていただくのです。

生神金光大神様は、
氏子、商売するというから
神は見ておる。
商売させて頂くという心になれば、
神はつきまとうてさせてやる。

と教えてくださっています。

いつだって問われています。
出来なかったことが、
お願いしてさせていただくなかで、
出来るようになってくると、
いつの間にか自分の力で
やっています…
そう思ってしまうことが
よくあります^^;
そういうときは、
見ているんですね、神様、遠くから。
「気付いてくれよ」と。
心変わりを持ち合わせた己としては、
毎日背水の陣かもしれません^^;

つきまとうてさせてやる世界は、
有限な人間技でなく、
無限の神力ですから、近くで、
それはそれは、
比べものにならないことかと
思います。

この教えはいつまでも、
心に刻み続けたいと思います。
すぐに我が物顔になってしまうので。

いかがでしょうか。

どうぞ...
(副教会長 須賀院崇徳)



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