2014年3月30日日曜日

疑り深いのは一種の難儀です


おはようございます。宗教家の須賀院崇徳( @TSugain )です。


疑り深いのは一種の難儀です
疑り深いのは一種の難儀です

疑り深いのは一種の難儀です

物事の考え方、十人十色、いろいろな角度から見ることが出来ます。

簡単に考えればの場面でも難しく考えてしまうのも本当のところかと思います。

簡単に考えれば行動出来ることも、難しく考えるがあまり動けなくなってしまうことが多々あるなぁと感じています。

信仰にしましても、これだけ疑り深くなると自然と神様に手を合わせることさえ出来なくなってしまうのです。疑り深いのは一種の難儀だと思います。

かといって何でもホイホイ「 信じます、ついて行きます 」では危険な世の中でもあると思います。そこを狙っている輩は多いですから。

僕が信心を始めた決定打はやはり『 親 』でした。両親の信仰が金光教でした。

金光教の教師育成機関である金光教学院で、見えない、聞こえない神様をどう信じればいいんだ、と苦悩している時、決定打となったのが親が信じているこの神様を信じていこうだったのです。

そこから、日々感謝が出来る生活となり道が開けていったことは言うまでもありません。

本来、信仰は誰もに必要なことなのです。冠婚葬祭でも、知らず知らずに、御神仏に申し出ていますし。

それだけ、「 その時だけよろしくお願いします 」では、どうなのでしょうか。それさえも思わないのでしょうけれども。

それぞれに、信仰の入り口は様々かと思います。それぞれが入り口にさしかかったときに、より素直に、単純に、流れに抗わずに、親( 育ての親、師匠も含めて )の背を見て、ご信心を受け入れられたら、おかげになっていくものと思います。

金光教の教祖・生神金光大神様は、

人間がさかしいばかりで身に徳を失っておる

教祖さまのみ教え

と、教えてくださっています。いかがでしょうか。

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 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

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