2014年1月15日水曜日

判断基準が他人


おはようございます。宗教家の須賀院崇徳( @TSugain )です。


判断基準が他人
判断基準が他人

判断基準が他人

実績を残すこと。

その過程にあって、やるべきことをしている人。そういう人が集まって、はじめて会話が成り立つのだと思っていました。

だからこそ、やるべきことをやっていない人からとやかく言われたくもない、そう思ってもいました。

そんなわけで、自分もやっているときは強気になれますが、やっていないときは、「 僕なんかが…… 」と、まぁ弱気で、いつもの調子で話せないときがあったのでした。

それが、一つの悩みでした。

結論は分かっていました。「 やればいいんだ 」と。やらないから話せないんだ、ただそれだけ。

そんな悶々とした気持ちを抱えていたある日のこと、師にお伺いしたのです。

そうしましたら、

あなたの判断基準は他人に委ねられている

師の教え

と、言われたのです。

他人が判断基準では、他人に認められなければ苦しみ続けるということになってしまいます。実際にそうなっていました。

ご信心させていただき、神様に心向ける中、自分を認めるのは自分ということに気付かされました。神様に心向ける自分、です。

神様と共に、いただいた命を、他人のお役に立つように、使わせていただく。使っていただく。これは、誰が何と言おうと、です。

だから、判断基準は神様です。そして、神様に心向ける自分なんですね。

教祖さまは、

おかげは和賀心わがこころにあり

教祖様のみ教え

と、教えてくださっています。

この生き方なら、どんな時代でも、どんな状況下でも、落ち込まずに、目の前のことを淡々とさせていただけます。

目の前のことを淡々とこなすこと、このことも簡単なことではありませんよと、そうも教えていただきました。

いかがでしょうか。

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 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

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